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Body Synergy Summer Retreat '18

Body Synergy Summer Retreat '18

以前より、「いつかBody SynergyでRetreatをやってみたいなぁ」「月一回のワークショップだけでなく、数日自然に囲まれた環境で共同生活をしながら、Body Synergyのワークを深める時間が持てたらな」と長年夢見ておりました。それがこの夏、おもっていたよりも早く実現することができました!

 

今回は、第一回目ということもあり私たちもいろいろと試しながらという形になるため、一般公募はせず、毎月のワークに密に関わってくれているBS研究チームのメンバーで行ってまいりました。残念ながら、研究チームのメンバー全員ではなかったのですが、今回の参加者は8名。長野にある車山高原に宿泊しながら、茅野市民館というとても素敵な施設で、2日間濃密な時間を過ごしました。

今回のテーマは『関係性』

自分の身体の中で見つける関係性、私とあなたというような2人の関係性、そして、私とみんな、つまり自分と集団の関係性の3段階にフォーカスを絞って様々なワークを行いました。

《 Day1. Silent Walk 》

Retreat1日目の朝は、Silent Walkから始まりました。つまり、沈黙のお散歩です。このワークは、朝6時半に起床した瞬間から始まります。8人一緒に寝泊まりをしているのですが、この日は、起きて顔を合わせても言葉も視線も交わさずに、それぞれが沈黙の中、身支度をし、前日の約束通り沈黙のまま7時に部屋を出ます。そこから、車山高原の近隣の森を散策します。言葉を交わしたり、ジェスチャーでコミュニケーションをとることはありませんが、グループとして同じコースを同じペースで歩くため、グループとして不思議な一体感がありました。それと同時に、それぞれが自分の目で発見し耳で聴いたものを、あえてその場でメンバーと共有することはせず、自分自身のためのパーソナルな経験として味わう。それもなにかとても贅沢に感じられました。参加者の感想で、「目から入ってくる情報が多く少し忙しく感じられたが、耳からの情報はとても心地よく癒された」というものがありました。普段、東京で暮らしているとどこにいても車やバイクの音や、テレビや洗濯機などの生活音などが耳に入ってくる主な音なのに比べ、森の中では、鳥や虫の鳴き声、風の音、川のせせらぎの中に、私たち8人の歩く足音が重なっていました。5月に行われた、内野さんと諸岡さんの『耳をすますとわかること』のワークを思い出したりもしました。あのワークを森の中でやってみたい!という声もありました。

その後、車で40分ほど移動して山を降り、茅野市民館という茅野市の運営している施設で1日目のワークを行いました。

《Day1. Work1 自分の身体の中で見つける関係性・背骨》

『関係性』をテーマとしたワークの一つ目は、背骨に注目し、Head + Tail (頭としっぽ)の関係性について考えました。これは、Laban Movement Analysis に基づいた、人間の身体の動きのパターンの一つで、背骨の始めと終わりのHead とTailの関係性を観察・分析していくことで、その人の性格・性質、キャラクター、心境、傾向などが見えてきます。そしてそれは、他者に様々な印象を与えます。例えば、Head とTail が上下に離れた状態でHeadが少し後ろに反った状態だと、「自信がありそう」「リーダー的存在」「偉そう」「高飛車」などの印象になり、反対にHead が前に垂れ、Tailが前に押し出されたいわゆる猫背の状態になると、「自信がなさそう」「暗い」「頼りない」「動きが遅い」などの印象に変わります。これを読みながらぜひ今試していただきたいのですが、背骨が変わることで、つまりHead とTail の関係性が変わることで、外見の印象だけでなく、気持ちや呼吸にも変化が出てくることに気づけるはずです。

参加者の感想 「姿勢が違うだけでこんなにも気分が変わるのかと驚いた。犬のしっぽみたいだと思った。」

《Day1. Work2 1対1の関係性・触れる》

午後のワークは、私とあなたの関係性、そして様々な『触れる』を試しました。

まずはペアを組み、実際に相手に触れる前に、その相手との距離感で遊びました。ある中心点を挟んで反対側にいるパートナーと常に対象の点を取るようにしながら、距離と位置を変化させていくゲームです。
実際に触れることはしないのですが、パートナーとすごく近付いたり離れたり、変化し続ける相手の位置を常に目でしっかり捉え対応していくことで、相手との関係性を強めていきます。

そのあと、実際に触れるワークに移ります。立っているパートナーに、どこでもいいのでどこか身体の一部を押し付ける。立っている人は、押された部分を”押された分だけ”押し返す。常に50:50のプレッシャーで押し合う。つまり、場合によっては体重を掛け合うほどの圧がかかることもあれば、軽く触れるだけのこともあります。これは体重を支え合うワークとはまた別で、どこの部分にどれだけの圧で押されているかを敏感に感じ取り、それと同じ圧で押し返します。1対1でこのワークを行ったあと、複数人で同じことをしていきます。立っている人は、2人あるいは3人が同時に別々の部位を別々の圧で触れてくるので、それぞれの部位でそれぞれの圧で押し返さなくてはなりません。一度に別々のことをするのでかなりの神経を使うのですが、これって、どこか、日常生活においての人間関係を連想させるワークでした。私たちは、日常の中で様々なレベルで様々な圧の「1対1の関係性」を同時に持って生活しています。あまりにも多数の1対1を同時にこなしていくことはとても容易なことではなく、時に、意識が回らずに相手をないがしろにしてしまうこともあります。こうやって、丁寧に身体で体験することで、一人一人と丁寧に関わろう、それぞれが自分とどのくらいの圧で関わろうとしているのかに敏感に、忠実に対応してみよう、と思える大事な時間でした。

Work2の最後は、『抱きしめる・抜ける・倒れる・起こす(起こされる)』。まず、誰かを抱きしめる。抱きしめられた人は、その抱擁から抜け出し床に落ちる。抱きしめていた人は相手が抜け出てしまったので、そのままの空洞を保ったまま固まる。別の人がやってきて、床に落ちた人を起こしてあげ、生き返らせる。そして抱いた形のまま固まっているを抱きしめにいく。これを繰り返します。まず、ここで興味深いのは、抱きしめるという行為から生まれる感情です。一つ前の圧をかける/かけらるワークも相手に触れているには変わらないのですが、触れることで何か特に感情が生まれてくることはなかったのですが、それが「抱きしめる」という触れ方に変わった瞬間、自然と感情が湧いてきました。それも、抱きしめ方や、また相手のすり抜ける抜け方、スピード、相手の倒れる位置、などによっていろいろな気持ちになりました。そして、それを繰り返すことで、抱きしめる、愛する、別れ、死、生まれる、また抱きしめる、、、「死生観を思い起こさせた」という参加者の声もありました。他には、「起き上がる時、手を引っ張るのは強引かもと思いきや、最後まで気にしてあげることを大切にすると、優しさがにじみ出ていて安心できた。優しさにも色々な形があるのだなと勉強になった。起き上がらせるというより、起き上がるのをお手伝いするから自分でも起きて来なね、という50:50のアクティブなやりとりだった。」という感想もありました。

《Day1. Work3 自分と集団の関係性・委ねる/支える》

1日目最後は、全員で行うワーク。7月のBSの研究会で行った内容をWork1/ Work2をを経て、試してみました。

まずは、ひとりが仰向けになり、頭、右腕、左腕、右脚、左脚にそれぞれに人が付きゆっくり動かしていきます。仰向けになっている人は、とにかく委ねる。自分ではなんのコントロールもせず、各部位を動かさせるままにする。自分の身体をひとに委ねて動かされるという経験は、なかなか日常で体験できることではありません。はじめは、どうしてもどこかに力が入ってしまったり、動きを予想して自分で動かしてしまったりするのですが、力の抜き方がわかってくると、ずっとこうしていたいと思ってしまうほどの心地よさで、みんな眠たくなってしまいました。

完全のされるがままを体験した後は、倒れてきた人を支えるワークをしました(詳しいワークの内容は7月の活動報告に書いてありますのでそちらを参照ください)。このワークは、倒れる方も支える方もある程度の覚悟がいるものです。倒れる方は、支えてもらえなかったら床に激突するかもしれないというリスクを背負いながら、でも必ず誰かが支えてくれるという信頼を頼りに身を投げ出します。周りの人は、そうやって自分を信頼しきって頼ってきた人を、絶対に安全に支えるんだという責任感でもって受け止めます。動きとしてはとてもシンプルで、誰でもできるワークですが、このワークを通して身体で体験する、緊張、覚悟、責任感、安心感、達成感は、日常の様々な場面、特に「ここぞ」という場面に通ずる感覚に思われます。

参加者の声「人に体重を委ねる時にはひとつ軸の通った身体でなくては支える方も大変で、委ねること、委ねる側の責任のようなものがそこにはある気がしました。」

Day1最後のワークは、私たちが『遺言』と呼んでいるワークで、全員でひとりの人を頭上まで高く持ち上げて運ぶワーク。一つ前のワークでは、体重を委ねてはいても、足は床についているので身体が傾く程度ですが、このワークは、もう完全に全身を持ち上げられて運ばれます(詳しいワークの流れは7月の活動報告をご覧ください)。7人で腕をいっぱいに伸ばし頭上高く上げて運んでいくので、これこそ一歩間違えたら怪我や事故につながる危険性のあるワークです。でも逆に、全員がそれだけの緊張感を持って、責任を持ってひとりを運ぶのですから、運ばれる方はこの上ない安心感を体験します。

参加者の感想

「集中することと大丈夫と思うこと。安心できる人に囲まれてるから安心して委ねられると改めて感じた。」

「こうやって死んでいけたらものすごく幸せだといつも思う。」

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《Day2. 散歩》

2日目は起床から喋ったりコミュニケーションをとりながら身支度をし、散歩に出かけました。1日目と同じコースを行ったのですが、全く違った体験となりました。もちろん山の中だし、早朝だしとても気持ちがよかったのですが、沈黙というルールを取り払ったとたんに、前日に聞いていた鳥や虫の鳴き声や、川のせせらぎ、風の音、みんなの足音は遠いBGMになりました。みんなでワイワイおしゃべりをしたり写真を撮りながら歩いたのはもちろん楽しかったのですが、前日に感じた感覚とは全く違っていたのが印象的でした。

《Day2. スタジオワーク》

その後、茅野市民館のスタジオに移動し、このBody Synergy Summer Retreat '18まとめのワークをしました。

この日は、ワークショップという形ではなく、前日にやったWork2の『抱きしめる・抜ける・倒れる・起こす(起こされる)』と、Work3の『遺言』をもっと丁寧に掘り下げる作業をしました。前日に出てきた問題点や、身体の細かい使い方やテクニックの部分を細かく見直し、無駄な動きをそぎ落とし、それぞれのワークの持っているコアのエッセンスはなんなのかを検証しました。

《全体を通しての参加者の感想》

「ワーク以外の時間も寝泊まりを含め一緒に行動することで色々とシェアする時間が持てたのは良かったです。ただワークをして終わり、ということではなくそこから得たことをどう言語化するか、日常生活へフィードバックするか、というのがやはりBodySynergyの肝だと思うので。普段の月一研究会だと時間に追われてバタバタとシェアする時間が取れなかったり、またすぐには言語化できないような体験があったりするので熟成させる時間を取れるというのは良いことだな、と。」

「久しぶりの参加で少し緊張していましたが、ゆっくりと・丁寧に進んでいったので、自然と馴染めました。そして、自分の為に集中する時間が、どれほど貴重な時の使い方であるか自分の身体を聴いてあげること、他人をじっくり観察すること、そこにいる環境に目を凝らし・耳を澄ますこと、能動的なペースで時を刻むことは、とても贅沢に感じました。そして、普段の生活でどれほど見過ごしているかを比べられることが出来ました。その時間・空間を共有していたことを振り返ると、とても穏やかな空気だったと思います。」

「他者と触れ合って作業をすることは、普段の仕事では、1mmもない行動です。やはり、今の時代、言葉だけでのコミュニケーションばかりになっていると感じました。他の直感的なコミュニケーション方法に、とても癒されました。」

「仕事の時は、自分に焦点は当てず、周りに焦点を当てて動く事がほとんどな分、合宿で丸一日自分の感覚に重きが置かれる感覚に違和感があって、違和感があること自体にも驚きました。それも丸一日ワークができたからで、全然気づいていなかった自分自身と日々の生活の関係性が見えたように感じます。

「頭(こうやって動きたい)と身体(思うように動かない)の感覚のズレがあって、あと1週間くらい合宿をしていたい気分です。」

「日常の中では人に触れることがないことを実感し、改めて人に触れることの大切さを実感しました。言葉ではなく触れ合うことで生まれるからだの会話に耳を澄ますことを居心地よく感じました。東京を離れて、空気も水も美味しい場所で、自分のからだの今と向き合えたことが貴重でした。また、いつも月1で会うメンバーとも朝から寝るまでずっと一緒に過ごすことで、違う一面を見ることができたからか、ワークの中でもより相手のことを思えたように感じます。」

 

  月一回の研究会を7年続けてきて、やっと実現できたBody Synergy Retreatでしたが、かなり濃い、充実した時間が持てました。本来、Body Synergyが日常の一部になってほしいという願いを込めている活動ですが、こうして都会の生活から一歩抜け出して集中的にこのようなワークに取り組み、共に生活し、語り合い、その特別な時間を持てたから得た気づきや学びはとても多かったように感じます。そして、そこで得たものをそれぞれがそれぞれの日常に持ち帰り、どのように使っていくのかは参加者ひとりひとりに託します。そこからがBody Synergyのワークの一番の醍醐味だからです。

今回、忙しい毎日の中、時間を作って参加してくれた皆様に、心から感謝するとともに、参加したことで何か少しでもみなさまの生活に変化や気づきがあったら最高に幸せです。

今後も、Body Synergy Summer Retreat、どんどんパワーアップさせて継続していきたいと思います!

BS 活動報告 2017. 5.21

2017年度2回目のBodySynergy研究会、三橋が担当させていただきました。

今回は半年前ほどに読んだ伊藤亜紗さんの著書「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社、2015年4月初版)という本を手掛かり・入り口に感覚を横断する・代替する・補完する・交換する・統合するといったことをテーマに個人での作業からペアワーク、グループワークを通して探っていきました。

まずなぜ今回このようなテーマを選んだのか?ということに軽く触れたいと思います。現在私はダンサー、振付家(作家)としてダンス作品を舞台などで上演する活動を行なっています。活動をしていく中で「ダンスはよくわからない」という言葉を耳にします。もちろん見方に正解があるわけではないですし、それぞれの感じ方があって良いのですが、当事者からそのように言われても観ている側は釈然としない部分があるでしょう。そのような現状で鑑賞者層は絞られていき、非常に狭い世界になっています。ただこれはダンスに限ったことではなく、他の芸術表現にも共通していること、つまり「芸術は難しくてよくわからない」ということ。観たい人だけに観てもらえればいい、と割り切ってしまう前にやれることはやりたい、という思いが個人的にあります。BodySynergyの活動にはそのヒントがあるように感じていて、今回ファシリテーションする機会をいただけたので「作品を見る」という感覚的なことをどのように捉え直すことができるか、再発見できるか、ワークを通して探りたいと思いました。

 以下はレジュメにワークショップ後に加筆したものです。

  1. 著者・伊藤亜紗さんの紹介

→東京工業大学リベラルアーツセンター准教授、美学を専攻

→美学とは?

簡単にいうと芸術や感性的な認識について哲学的に追求する学問。さらに平たく言えば言葉にしにくいことを言葉で解明していこうとする学問。

  1. 感覚とは?

→刺激受容器の活動とそれに続く皮質感覚領までの神経活動に密接に依存していると想定される意識経験。アリストテレス霊魂論でヒトの感覚を初めて分類し、視覚聴覚触覚味覚嗅覚の5つがあるとした。これが広く知られる五感であるが、現在は実際にはそれ以上の数の感覚、例えば圧覚,痛覚,冷覚,温覚,運動感覚平衡感覚,内部感覚などがあることがわかっている。

  1. 体性感覚

触覚、温覚、冷覚、痛覚、食感、くすぐったさなどの表在感覚と運動覚(関節の角度など)、圧覚、深部痛、振動覚などの深部感覚がある。

  1. 内臓感覚

内臓に分布した神経で、内臓の状態(炎症の有無、動きなど)を神経活動の情報として感知して、脳で処理する仕組み。吐き気などの臓器感覚、内臓痛など。

  1. 特殊感覚

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、平衡感覚などがある。

  1. 他の感覚

体に対する意識である固有感覚(体の様々な部位の位置する場所を感じているという“無意識”)、痒みの感覚(痛覚の軽いものと思われていたが、近年独立した感覚である可能性が示された)

⇨今回はシンプルにいわゆる五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)ということで進める

その上でそれぞれの感覚器官(視覚=目、聴覚=耳、嗅覚=鼻、触覚=皮膚、味覚=舌)を横断する、ということをまず考えてみる。

(例)

脈をとる、他人の脈をとる、遠くの音を聞く、皮膚で聞く、

→触覚と聴覚の近く感覚、

擬音語、擬態語

→例えば「ぬめぬめ」や「しっとり」という音(=聴覚)から受ける触覚のイメージ

⇨実は無意識にも複合的に、横断的に感覚を使っているということ。盲や聾の方々が特別な感覚を持っているということではなく、横断的・統合的に感覚を使うことで感覚を補っているということ。

⇨統合的に感覚を使っているとしても、視覚から得る情報というのが8〜9割を占めている

→視覚への依存、優位性

→聴覚、視覚という上位感覚と、触覚・味覚・嗅覚

 “5つのうちもっとも「優れた」感覚は何か。ご推察のとおり、それは視覚です。時代による多少の変遷はありますが、資格は基本的に「感覚の王」の座に君臨してきました。ただし、これはわたしたちが視覚から最も多くの情報を得ているということではなくて、視覚がその機能においてより「精神的」であるという意味です。〜(中略)〜視覚に次いで高次の感覚は聴覚です。聴覚も精神的な活動と結び付けられます。〜(中略)〜これら二つの感覚が圧倒的に優位な上位感覚で、これに嗅覚、味覚、触覚が続きます。「視覚/聴覚」と「嗅覚/味覚/触覚」という二つのカテゴリーを分ける基準は、対象に接触しているかどうかです。”

-「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(頁94〜より抜粋)-

→教育による感覚の移行、後者の3感覚は公共の場でネガティブな印象を与えることと密接に関わっている

“公共の場で触覚がネガティブな印象を与えることと密接に関わっているのが、「感覚にはヒエラルキーがある」という伝統的な考え方です。つまり人間にあるとされる5つの感覚は、それぞれ対等なものではなく、優れたものと劣ったもの、価値の優劣があるというのです。”

“(前略)目の力によって対象と自分を分断し、境界線をはっきりとさせること、それが近代における「大人になる」ということです。低次の感覚から高次の感覚へ−教育とは、まさに子どもを触る世界から見る世界へ移行させることなのです。”

-「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(頁93,96より抜粋)-

→視覚や聴覚というのは社会的な感覚?

(例)世間の目、国民の声

  1. ブラインドウォーク

→視覚という上位感覚を閉ざし、後者の感覚を開いてみる。

 (1)「目をつぶる」と「目が見えない」の違い

 “見える人が目をつぶることと、そもそも見えないことはどう違うのか。見える人が目をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如です。しかし私がとらえたいのは、「見えている状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」ではありません。視覚抜きで成立している体そのものに変身したいのです。そのような条件が生み出す体の特徴、見えてくる世界のあり方、その意味を実感したいのです。

 それはいわば、四本脚の椅子と三本脚の椅子の違いのようなものです。もともと脚が四本ある椅子から一本取ってしまったら、その椅子は傾いてしまいます。壊れた不完全な椅子です。でも、そもそも三本の脚で立っている椅子もある。脚の配置を変えれば、三本でも立てるのです。”

(2)ブラインドウォークの実施

・二人人組になる

・一人が目を瞑り、自由に散歩する。もう一人は危険がないようにそれを見守る。

→特にナビケートするなどの必要はないが、基本自由。

・視覚以外の感覚を拓く

 

  1. ソーシャル・ビュー

“(前略)通例、美術館では声を出すことはあまり奨励されていませんから、鑑賞は個人的で内向的な経験になりがちです。しかしこのワークショップでは、積極的に声を出してグループの仲間とやりとりしながら作品を鑑賞していきます。人と関わりながら見る。だから「ソーシャル」な「ビュー」というわけです。”

-「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(頁158より抜粋)-

→見えない人と行う美術鑑賞。目(視覚)も手(触覚)も使わずに作品にアクセスする。

実施方法(今回の場合)

・いくつかの画像を用意する(本当は実物が好ましい)

・グループ内の数名は目を瞑り(もしくは画像を見ない)、他の参加者が画像について説明する。その際「情報」と「意味」の両側面を伝える。

・目的はその画像を思い浮かべ当てる、ということではなく「どのようなコミュニケーションが生まれるか?」「(他人の感覚を交えることで)どのような発見があるか?」

 

 (使用した画像例)

Daniel Kukla「エッジ効果」

Daniel Kukla「エッジ効果」

Salvedor Dali「秋のカニバリズム」(1936,油彩, 60 x 60 cm)

Salvedor Dali「秋のカニバリズム」(1936,油彩, 60 x 60 cm)

山田正亮「Work C.18」(1960,油彩, 33.0 x 24.0 cm)

山田正亮「Work C.18」(1960,油彩, 33.0 x 24.0 cm)

 

(1) 「見えない人がいることでその場のコミュニケーションがどう変わるか」

(2)「情報」と「意味」

→客観的な情報(視覚的な情報)と主観的な意味(感想)

“「鑑賞するときは、見えているものと見えていないものを言葉にしてください。」「見えているもの」とは、文字通り目の前にある、たとえば絵画の大きさだとか、色だとか、モチーフなど。ひとことでいえば「客観的な情報」です。「見えていないもの」とは、その人にしか分からない、思ったこと、印象、思い出した経験など。つまり「主観的な意味」です。”

-「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(頁164より抜粋)-

【まとめ】

今回は最後に行ったワーク「ソーシャルビュー」ということをやってみたい、というところから全体を構成していきました。「ソーシャルビュー」が前述した「作品を見る」という感覚的なことをどう捉え直すか、につながると感じたからです。そしてこのワーク自体が「美学」である、とワークを行いながら感じました。同じ情報を得ながらそれぞれの感覚、感性を通して異なる意味が生まれ、それを伝えるために言語化する。人と意見を交わしながら作品を見ることで自分とは違った見方による新たな発見、作品に対する眼差しの深化、多様な主観(≒主観的な意味、感想)の交換や受容、もしくは否定。最初に述べたように芸術作品の見方に正解はない、と言われています。しかしそこに自分が見出す意味を知ること、それが自分を知ることにつながるのではないかと思います。感性を言語化し、自分の血肉とすること、そのとき各個人の中に「芸術」が存在する意味が生まれてくるのではないでしょうか。個人的には芸術とはモノの見方、世界の事象に対して美しさ・面白さを発見することなのではないかと思っています。そしてそれは感覚や感性を通して起こることです。様々な技術が発達する中で、便利に生きていける一方、鈍化していく感覚というものがあります。その波に流され続けるだけではなく、時には立ち止まって身体や感覚を取り戻す必要もあることでしょう。

今回のワーク全体を通して感覚を言語化することの重要性、そのための方法論の糸口がつかめました。個人的にも今後さらに深めていき、わかりやすさや観客が観たいもの、ということを意識しすぎずに自分のやりたいこと、表現したいことを作品化することを作品含め、それを取り巻く環境から考えていきたいと思います。

BSK 横浜 2017.3.5

BSK 横浜でお世話になっている、Umiのいえさんのブログでクラスの様子を紹介していただきました!えいこさん、いつもありがとうございます! 

 

 http://www.uminoie.org/2017/03/35-body-synergy-kids.html?m=1

BS 活動報告 2016.11.21

昨日のワークショップでは、来年1月8日に行われるプレゼンにむけてのリハーサルをしました。昨年度同様、今年度も一年間継続してきたBody Synergyの活動のまとめとして、シェアリングの場を設けたいと思い、準備を進めています。

今回のテーマは、「個人として決断すること(individual decision making)」と、「集団とhookしながら動くこと」の両方を同時に起こすことができるかどうか。

Hookというキーワードは、夏のInternational Workshopで講師のThomas Goodwinさんが使っていた言葉。日本語だと引っかける、留める、つかまえるというような意味ですが、このhookという言葉を自分の身体に感覚としてどう落とし込むかが議論のポイントになりました。

Hookのインプロについて以下のような気づきがありました。(付け足したい方、是非コメント欄にお願いします!)

・個々の動きの軌跡やゴールを明確にすると次への方向性が見えてくる
・より自分に近い人とのhookをまず強く作ることが全体の強い繋がりを作る(ご近所への意識と集団全体への意識)
・止まる時は静止ではなくsuspensionである(振り子の頂点)
・これらをこなさないと、サラサラした味気ない、中身のないような関係性になってしまう
・個々の動きはspiralにすると全体に立体性が出るし、次の動きへのきっかけや方向性が見えてくる
・hookできた時の動きのクオリティはsticky
・hookできている、という実感がある時は、全体の調和が取れている
・自己のアジェンダ(自分の過程の始まりと終わり、方向性)と集団の動向の両方を意識できるとよい
・自分にとって、フックをかけている状態とは?(どんなフックのかけ方を目指したいか)
・動きやスペースを「聴く」
・グループ全体の動きのエネルギーの流れもはっきりさせる
・個人の意思 決断 と 集団の流れ のバランスを同時に感じる
・流れを作る 流れに乗る 流れに乗らないというチョイスをする
・自分の選択・意思で動く
・空間が必要としているものを探す。ただ空間を埋めるでない

参加者だけにしかわからない言葉の表現もあるかと思いますが、12月のワークショップの際に参考になれば、と思い書き留めておきます。

Body Synergy Japan!

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Body Synergy JapanのFacebookページ & Instagramのアカウントを作りました!

明治大学での毎月のワークショップのほかにもBody Synergy Japanは様々な活動をしています。

老若男女が自身の身体の可能性に気づき、それを存分に使い、自分、他者、そして社会とより良い関係を築いていくことを目的とし、明治大学での研究グループのほかにも、小さいお子さんを持つ家族、保育園生、幼稚園生、小学生、中高生、大学生、社会人、高齢者の方々、さらには企業向けのクラス/ワークショップを行っています。

身体や動きを通して感覚することを大切に行っている活動ですので、Body Synergyとは何かを言葉で伝えることがなかなか難しく、そこが私たちの今後の課題とはなりますが、このページを通して、Body Synergy Japanの全体像、そして私たちの目指していることが少しでも伝わればと思います。

今後もBody Synergy Japanを宜しくお願いいたします!

 

フォローよろしくお願いします!

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Instagram: @bodysynergyjp    www.instagram.com/bodysynergyjp/

 

Body Synergy Japan Team

BSK 横浜 2016.11.6

今回はおかげさまでたくさんのご予約をいただき、2クラスに分けて行いました!
1ヶ月に一度のクラスですが、その度に子どもたちの変化が見てとれます。お母さんの足にしがみついて離れられなかったお子さんも、お母さんから離れて自信を持ってクラスに参加できるようになったり、久しぶりに参加してくれたお友だちがたくさんおしゃべりができるようになっていたり、新しいお友だちにお手本を見せてあげていたり、とてもあたたかい雰囲気でクラスが行われています☺️

来月は12/4(日)です!
お問い合わせ、ご予約は、
bodysynergy.kids@gmail.com
まで!

BSK 表出・伝達・表現

私達のBody Synergy Kidsのクラスでは、表現、ではなく、子どもたちの「表出」を一番大切にしています。

表現は、まず「表出」があり、その後に「伝達」を経て、初めて起こるべき事です。Body Synergy Kids に通っているまだ小さな子ども達には、まず十分に表出をしてもらいたい。技術を伴う伝達の段階はもっと後で到達されればよい、と考えています。

表出というのは、他人に見せるためのものではなく、自分のためだけに行われる表現活動の事を言います。ですから、大人が満足する為の表現ではなく、子どもが子ども自身の中だけで何を感じ、体験したのかを大切にしたいと思っています。

発表会などの場で、我が子がきちんと決められたことが出来たのを目撃するのは親としては大変誇らしいものではありますが、子どもの中のゴールがただ「間違えないようにきちんとやる」、事に留まっていたとしたら、それは大人のための大人の主体の考え方がベースにある表現となってしまいます。

ですから、Body Synergy Kidsのクラスでは、例えその場では泣いてしまったり、つまらなそうに見えていたとしても、何日も何週間も何ヶ月もかけて子どもたちにゆっくり浸透して行く体験や、それぞれの子どもたちがそれぞれのタイミングで感じている事を大切にできる場でありたいと思っています。

なかなか子ども主体に、ゆったりと表出の過程に寄り添うには、余裕も時間もないのが私達大人の日常になってしまいがちですが、Body Synergy Kids のクラスの中だけでも、私達大人が一緒に全身で楽しみながら、子どもたちと共に成長できる環境を作っていけたら、と願っています。✨

これからもどうぞよろしくお願いします。